少年時代
昭和39年元旦、この世に生を受ける。
年末年始の忙しい時期に母は付き添いもなく、
ひとりで頑張って私を生んでくれた。
父は県会議員、母は兼業農家、
二人の姉は母親代わり。
私は、虚弱で不活発、内気でひ弱。
保育園行くのが嫌い。
仕事がある母を困らせていた。
勉強も大嫌い。
母も姉もあきれ顔、
でも最後まで宿題を手伝ってくれた。(反省)
優しい家族、自然、地域の方々に支えられた。
私の少年時代。
父が経営する紳士服店の経理のおじさん、
ウツミさん。
お調子者で度を超すことが多かった私に、
「正しい知識が無いから
誤った行動をとってしまう。
もっと勉強して、本当に尊敬される
リーダーを目指して下さい。」
それから、勉強も運動も人一倍努力した。
至誠惻怛の精神で行動することを
教えてもらった。
医師を志したのは17才の秋。
病気やケガで苦しんでいる人を
一人でも多く助けたい、と願うようになった。
私が香川医大に合格した時、ウツミさんは
「ひでくん、よう頑張ったな。
困っとる人をよう助けてなぁ。」
ウツミさんは嬉しそうに笑ってくれた。
それから2週間後、末期の胃がんで
天国に旅経った。
医師として
昭和63年3月 医師免許取得。
常に完全燃焼で臨んできた。
研修医、大学院、アメリカ留学。
理想と現実に葛藤した試練の日々。
香川大学医学部教官として赴任。
反骨心が強かった私は、
医学界の異端児と言われたが、
常に孤軍奮闘の日々を送った。
東北大学に異動し直ぐに、
2011年3月11日未曾有の災害にあった。
このとき、現場の医師として
解決できない大きな問題は、
政治の力で解決できることを知る。
自分の進むべき道に運命を感じた頃、
愛するふるさと姫路の市長選に推挙された。
これまでの経験は、天命に導かれるための
長い準備期間、と私は強く思った。
姫路市長として
私は、姫路市民のため “命”を守り、
播磨の連携中核都市として、
もっと大きな目標に向かいます。
天命として53万人余人のLIFE
【命 くらし 一生】を大切にしたい。
そして姫路の
“人づくり” “ものづくり” “まちづくり”
さらなる健やかな発展に奮闘します。
一期目 実績
- 新型コロナウィルス対策
- 教育・学習環境の整備
- 駅周辺・道の駅の整備
- スポーツ・文化拠点の整備
- 行政手続きのオンライン化